aloha!
今日はあいにくの雨…
渋谷校の前の桜も、グレーの空の下、ちょっとさみしそう。
さてさて、今日はクムヌイの記事をアップしたいと思います。
クムヌイこと、パティー・ケアロハラニ・ライト先生は、クム・サンディーの師にあたる方。
昨年は、発表会に合わせて来日されましたし、またハワイホイケ&フアカイもあったので
たくさんの生徒さんが、クムヌイのビッグアロハスピリットに触れていることと思います
そんなクムヌイに、日Cのエイコちゃんが、メールで質問をなさったのですね。
そのお返事をクムヌイはとても丁寧に返してくださったそうです。
エイコちゃんがぜひ皆さんにシェアしたいとおっしゃってくださったので
一部、こちらに日本語訳を掲載させていただきます
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Q:どうしてクムヌイになったのですか?
私は、クムフラになろうと思ってフラを始めたわけではありませんでした。
ただ踊りたいと思っていただけ。
でもアンティー・ベラが教える10代の子たちのクラスでただ一人成人していた私を、
アンティーはどう扱ってよいかわからなかったのでしょうね。
私を先生に育てあげる、と言ったのです。
当時の私は、アンティーから言われることだけをしていました。
クムになれるかもしれないと考えたのは、ずいぶん後になってからのことです。
アンティー・ベラがカヒコを教えていなかったので、
私はアンティー・ラニのもとに送られ、カヒコを学びました。
そのときにもまだ、私の頭にはクムフラになるという思いはありませんでした。
けれども、フルタイムではないけれど、少しだけ教えるようになっていました。
生活のために収入を得なければならなかったのですが、
私は教えることと踊ること、そして演奏することが大好きだったのです。
私はアンティー・ラニに、生徒にしてほしいと一生懸命お願いし、
押して押してどうにかクムフラのウニキを完了してもらうに至りました。
それも最初から計画をしていたわけではなく、目の前のステップを踏んできた結果です。
先にあるものが何であろうと、私は次のステップを踏んできたのです。
Q:オーラパ(ダンサー)→ホオパア(チャンター)→クムフラになる段階で、
何か気持ちの変化はありましたか?
この道のりのどの段階でも、私の中で何かが変わりました。
カヒコを習い始めて、フラの文化的な部分を以前よりもっと大切に思うようになりました。
私はフラを様々な面から捉えるようになりました。
フラは思ったよりずっと深くて素晴らしいものでした。
かわいらしい曲を踊るかわいいダンサーだけではなかったのです。
クムフラになったとき、大きなチャンスが訪れました。
クレアナ、責任が生じたのです。
私が受け取ったこの遺産をきちんと正確に引き渡すことが、
私に課せられた任務となりました。
ウニキを終えてからのほうが、それ以前よりも勉強するようになりました。
習うことは山ほどあります。私がフラを好きな理由がそこにあります。
私は、この伝統を受け継ぐ許しを得た白人として、
ハワイの血が流れる人たちよりも大きな行動をとった気がしているのです。
私を受け入れてくれる先生を見つけるために、がんばらなくてはなりませんでした。
ですから私は、与えていただいたことの価値を、深く噛み締めているのです。
私たちが学んでいるカヒコ・アウアナは
クム・パティーからクム・サンディーへ、そして私たちへと受け継がれてきたもの。
もっとさかのぼれば、アンティー・ラニやアンティー・ベラ(写真がスタジオに飾られています)
そしてその上にはまた先生たちがいて…ずっとずっと続いているんですよね。
クムヌイの熱い思いに触れる言葉たち
みなさんは何か感じましたか?
ここにシェアしてくださったエイコちゃん、ありがとうございました
さあ、渋谷校ではLeimamo先生の入門カヒコが始まる時間。
私たちもまた、フラの歴史を受け継ぐものとして
先人への感謝を忘れず、誠実な気持ちで踊っていけたらいいなと思います。
すべてのものに感謝をこめつつ
Noe’ula